お母さんの生体部分肝移植は成功しました。
14時間近くの大手術でした。
成功して良かった!
その夜私は病院に泊まったが、翌朝お母さんには会わなかった。
やはり大きく胸を開く手術であるため、しばらくは麻酔の効いた状態であることと、
拒絶反応を防ぐため免疫抑制剤を使用しているので感染症の心配がある。
外部から菌を持ち込まないため、しばらくは面会は自粛しようと考えたためです。
息子は術後一晩ICUに入り、翌朝一般病室へ移りました。
息子に会いに行く。
息子も大きく胸を開いているのでまだまだ動ける状態ではない。
意識は普通にあるけど、色々管をつけられて痛々しい。
あまりふれてなかったが、息子の肝臓を半分お母さんに提供してもらった。
肝臓の大きさ・血管の通り道等によって、切除できる位置・量がかわるのだが、
息子の肝臓は大きさ・血管の通り道も非常に良く、
約半分も提供することができた。
ありがたかった。
息子にも家庭がある。
しばらくは仕事もできないので、収入もなくなる。
そこらへんのフォローは任せろ。
ちょうどボーナス時期で、もらえたボーナスには手をつけていないし、
お母さんの障害年金にもまったく手をつけていないので、
息子の家庭に回す予定だ。
少し息子と話して帰宅。
私は翌日から仕事に行ったが、お母さんが心配で仕事があまり手につかなかった。
6月30日の夜に手術が終わって
7月1・2・3日は面会自粛。
4日に面会に行った。
菌を持ち込まないようにしっかり消毒してICUへ。
お母さんの意識はもどっていた。
まだまだ口にも鼻にも管が入っている。
「よう頑張ったな!」と、声をかける。
「苦しい」と、お母さんは言った。
そりゃ苦しいだろう。
大きく腹切ってるし、全身管だらけだし…。
痛み止めのスイッチを持っていたので、
「苦しいなぁ、これが痛み止めのスイッチじゃから、えらかったらこれを押してみ?バシバシ押せばええから」
と、伝える。
背中に鎮痛剤の管が付けられていて、
スイッチを押すと注入されるようになっている。
何度押しても必要な分だけしか注入されないので心配ない。
「息子も良く頑張ってくれた、まだ動けんけど元気そうじゃから、
息子の肝臓、半分もお母さんに付いとるんよ」
と、伝えると、
「ほんまぁ~」
と答えた。
しんどそうであるが、嬉しそうだ。
「もうちょっとの辛抱じゃから頑張ろうな!」
ICUにはあまり長く居られないのでそろそろ帰る。
帰り際、お母さんはバイバイとゆっくり手を振ってくれた。
もっともっと元気付けてあげたいけど仕方ない。
後ろ髪引かれる思いというのはこんな事か。
それからは毎日、仕事が終わると面会に行った。
息子も順調に回復していった。
お母さんもたいぶ痛みは薄れてきたようだが、まだまだしんどいようだ。
それは仕方ない事だと思う。
しかし、気になることが一つ。
手術前、肝性脳症の症状で意味不明なことを言うことがあったが、
まだ、うっすらと症状があるような…。
話しかけても、そっぽを向かれたこともあった。
ICUシンドロームというのだが、
環境の変化により不安精神症状を起こすことがある
と、なにかの書類に書いてあったのでその一種だろうか。
一般病棟にもどると自然回復するらしいのだが。
そして1週間が過ぎた頃だろうか、
夜眠っていると、突然電話が鳴る。大学病院からだ!
つづく