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今日も てくてく

奥さんの死、本人のガン発覚・手術。そして退職し現在無職。大丈夫なのか?!

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S状結腸がん手術当日


1月26日いよいよ手術の日がやって来ました

たしかお昼前くらいからだったと思います

お風呂に入って体をきれいに洗って準備OK

手術着にきがえてストレッチャーで手術室へ向かいます

まだ普通に歩けるのだが・・・


手術室へ向かうとき孫達も来てくれてうれしかったな
じぃじ頑張る!


手術室に入って背中に何か刺された
術後の痛み止め用みたいなことを言っていた
腕にも刺された

何か緊張する

少し寒くて手足が冷え切っているのがわかる

”麻酔入りますね”

麻酔が入ったらしい
看護師さんが手が冷たいねと手をさすってくれた


そこらへんまでは覚えているのだけど後は分からない
意識が飛んでいる




気がつくと集中治療室らしき所でした

手術は終わったらしい

鼻に管が刺さっている
体中管だらけのようだ

お母さん(奥さん)もこんな感じだったな
思い出す

確かもう手とかは動かせたと思う
しかし足は動かなかった と言うか感覚がなかった



先生が入ってきて”ちょっと痛くなってきた?”
と問われたが全く痛みはなかった


痛くはないし、足の感覚がないですと伝えると
背中の痛み止め用の管を外された


なんか強かったのだろうか?
別に外さなくてもいいのに・・・
後から痛くなりそう・・・


だんだん足の感覚が戻ってきた


ところで今何時なのだろう?全くわからん
別にいいけど・・・


本当に体中管だらけで足にも何か付けられていてモミモミしている
血液の循環を良くする為だろう



どのくらい時間が経ったのだろう
だんだん痛みが出てきた

今は真夜中なのだろうか?

痛みがひどくなってきたので看護師さんを呼ぶ
背中の痛み止めがなくなったので痛くなったら毎回看護師さんを呼ばなければならない


一晩のうちに何度も看護師さんを呼んだ

こんなのがしばらく続くのか?
これは辛かった





こうしてあまり眠れないまま術後の夜が過ぎて行った


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腸閉塞からのS状結腸ガン


2016年1月14日に腸閉塞で入院になり3,4日は絶飲食だった

その間は色々と検査の日々

19日に検査結果やら今後の話がありました


内視鏡の写真を見せてもらったが、見事に腸がふさがっている

結論からいうとガンでした

直腸の少し上、S状結腸ガンです

ステージ4と診断されました

後から調べてみたが、ステージ4とはかなりガンが進んでいる状態のようです
しかし転移はしていないと言う事


ガンと言われたけど
私が楽観的だからかどうか分からんけど、絶対に治ると確信していました

手術の日も26日に行うことになりました

病室も内科から外科に移り手術に向けての準備です

絶飲食もとけてしばらくは食事ができます

こんな薄味の食事だけど絶食後はありがたかった



そして22日から手術当日まで再び絶食&下剤祭りです

効率よく栄養摂取するため首に点滴の管を刺されました

管を刺されて2日くらいは横向いて寝たら痛かったけど
徐々に慣れてその内痛みも無くなったな


私は食にこだわりが無いのですが、1週間も絶食だったら流石に辛かった

病室にいても暇なのでTVばかり観ていたが、食の番組が多くて、
退院したら絶対これ喰う!これ作る!
と、そんな事ばかり考えていました


こうして手術の日は着々と近づいてくるのでありました



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入院! 腸閉塞


2016年1月14日、ちょっと大きめな病院へ行く
お母さんが大学病院へ行く前に入院していた病院

受付を済ませるが、紹介状がいるとか何とか面倒くさい
最寄り病院へ電話して、紹介状を送ってもらうように依頼する

ほぼ2日寝てないし食事も取れていないけど、お腹が張って苦しくてそれどころではない

いくらか待たされてレントゲンと内視鏡検査を行う

内視鏡検査はお母さんが入院していた時お世話になった先生がやってくれる



胃カメラは一度やったことはあるが大腸の内視鏡は初めて

検査服に着替えて検査室へ


カメラが入る

”おならが出そうになったら出していいからね” と言われ力を抜くと
ちょこちょこガスが出た

これまで全くガスすら出なかったので少し楽になった

”これじゃな、腸閉塞になっとる、それで吐くんじゃな”


腸閉塞とは腸が詰まっているという事か?



検査が終わり、先生が
”腸閉塞、悪性” と言ったような・・・


さらっと言ったのでそんなに気にしなかったが
悪性と言ったよな?




検査後、トイレに行くとすっきり出ました!
お腹は楽になった



しばらく待って診察室で説明を受ける

腸に腫瘍ができて完全に詰まっている状態でした

内視鏡検査をした時に針金みたいな物で詰まっているところを拡げているらしい

だからすっきり出たんだな
ただ入院になってしまいました


という事で急遽入院です 
内科でした


息子は仕事だから親に連絡して着替え等を持ってきてもらう

会社にも連絡
引継ぎをしないといけないのにこれでは出来ないな

後、この時私は町内会の副会長をしていたので、町内会長にも連絡



入院なんて何十年ぶりだろう?
トイレに行ってすっきり出たのでこの時は苦しさも全くなく楽観的でした

でも確か”悪性”って言ったよな?
気のせい?




その事はあまり考えないようにしてました


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円満退職のはずが・・・


11月に退職願いを提出しグループ長や部門長と話をし
翌年の1月末での退職が決まった

ちょうど新しく人が入ったのでタイミングが良かった
退職までにしっかりと引継ぎを行おう


私の計画では1月末で退職し
つぎの就職先はゆっくり探すつもりなので失業手当を貰う予定

失業手当は3ヶ月経過しないと貰えないので
3ヶ月間生活できるお金を貯める

そしてその間はパチスロ生活をする!


お金はだいぶ貯まった
3ヶ月間は余裕だ
パチスロの資金も出来つつある

計画は順調だった

12月は仕事が忙しく本格的な引継ぎは1月になってだな



年が明けて1月
12月に貰った賞与にも全く手をつけていない


正月休みも終わって本格的に引き継ぎをはじめる


しかしこの頃、なんか体調が悪かった

トイレでね、大きい方がなんだか出にくい
元々トイレは長いほうなんだけど…

お腹も張ってきてちょっと苦しい
ガスもあまり出ない

便秘か?



1月12日
お腹は張っているのだが便もガスも出ない
苦しいので晩ご飯も少しだけしか食べれない
どうしたのだろう?

その夜、
あまりにも苦しくて眠れない

仰向けでもうつ伏せでも、右向こうが左向こうが
お腹が張って苦しい、というか痛い

全く眠れず一晩乗り越え、翌日は急遽会社を休んでもよりの病院へ

浣腸を貰い帰宅し使ってみるが出ない

出ないけどもう少し様子をみよう



その夜、やはり苦しくて眠れない
お腹がはっているのでこの日は何も食べていない

水分取ったら少しは治まらないかと思い
お茶を飲んでみるが治まらない

それどころか酷くなた

苦しくてついには何も食べていないのに吐いてしまった

なんか黒い嘔吐物が出た


これはまずいのではないか?



何とかこの夜も乗り越え
1月14日朝、会社に電話しこの日も休む

そしてもっと大きな病院へ行ったのでありました


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退職を決意


お母さん(奥さん)が亡くなって、
香典のお返しやら色々な手続きなどで忙しい日が続いたが
無事四十九日の法要も終え少し落ち着いた

お母さんへの申し訳なさはずっと続いているが…




一人暮らしにも慣れてきた9月25日

給料日です

お母さんが扶養から外れて家族手当が無くなり給料は減った
これまでも少ない給料だったのにさびしい事だ


さて、今月はいくら有るかと明細を開くと


差引き支給額 124,343円


はあ?!

思わず声が出た


私は準社員だから日給なんです
8月はお盆休みが有ったので出勤日数が少なかった

にしても、いい歳したおっさんが12万円の給料って・・・


準社員の待遇の悪さに無性に腹が立った

日給で退職金なし、賞与はあるが1月分ちょっと


それに比べて正社員は・・・


ここでは書かないが、雲泥の差です





もう辞める!



前から辞めよう辞めようとは思っていたが
お母さんも居るしなかなか踏ん切りがつかなかった


しかし今はちがう
もう一人だ

守るべきものは何も無い
気持ちは固まった


まずお金を貯めよう

さいわい8月にお母さんの最後の障害年金がもらえて
それには手を付けていないし
月々倹約して12月の賞与をもらって辞めてやる



長い間お世話になった会社だし
仲の良い大好きな方もいるが、気持ち右は揺るぐことは無かった



そして11月半ばだったか後半だったか

退職届けを提出したのであった


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奥さんの告別式


2015年7月21日1時7分  

お母さんが亡くなった



みんな泣いていた
みんな悲しんだ

もちろん私も



でも、これから告別式の準備をしていかなくてはならない

喪主は私がすることになるだろうし
悲しんでいる暇はなかった


喪主をする人は通常 故人の一番近い人
故人が亡くなって一番悲しむ人である

にもかかわらず告別式の準備や喪主など、忙しく行わなければならないのは
悲しみを紛らわせる意味もあるのではないだろうか




みんなICUから出て控え室にいると担当の先生が来られた

解剖に協力して欲しいと言うことだ

大学病院だからそうなるだろうと思っていた

お母さんを大切に扱っていただけるなら
と、了承した



解剖のことはみんなには言わなかった
いや、言えなかった



すぐにはお母さんを連れて帰れないので
みんなには一旦帰宅してもらう



告別式は身内のみでひっそりと行うつもり

自宅近くの小さなセレモニーホールにお願いした
21日12時に病院まで迎えに来てもらう事になった

一旦私も帰宅した


帰ったら真夜中3時頃だったかな

少し寝ようと思ったが眠れない

しばらくして、悲しくてどうしようもなくて、
お母さんに着せるための新しいパジャマを持って再び病院へ行った


解剖は終わっていてお母さんに会わせてくれた

6月30日に生体肝移植手術を行い、息子の肝臓が半分お母さんに移植され
21日までの間に、移植されたお母さんの肝臓は1,3倍に成長していたそうだ

ちゃんと肝臓は付いたのにな
手術は成功したのに・・・


しばらくお母さんの横に居て
ICUを出た

その後は車の中で朝をむかえた



12時前、
お母さんが安置されている場所へ行く

簡単な祭壇になっている


移植コーディネーターの方や看護師さん、肝胆内科の先生などが見送りに来てくれた
手術を担当してくれた先生は他の手術のため来れないらしい

先生は本当に全然寝てないのではないだろうか?

先生に最後にお会いしたとき、
申し訳ありませんと泣いてくれた

私は先生に恨みなど持っていないです
むしろ感謝しています

先生、大変お世話になりました
ありがとうございました




12時ちょうどにセレモニーホールの車が到着

お母さんを車に乗せて
見送りに来てくれた皆様にお礼の言葉を言う


今回はこのような結果になってしまったが、
お母さんの死を何かの役に立てて下さいと、
これからも一人でも多くの命を救ってくださいと


移植コーディネーターのお二人はとても顔なじみになっていたのだが
二人とも泣いてくれた

他にも泣いてくれた方がいた

病院に対しても恨みなど持っていない
本当にお世話になりました






会場のつごうで
22日にお通夜
23日に告別式となった

お通夜も告別式も、どこで聞きつけたのか大変大勢の方々が来てくれた

告別式では座る席が無いほどだった


こんなに大勢の方々にお母さんは慕われていたのだなと
あらためて感じた


私はお母さんに対して申し訳なさで一杯だった






告別式も滞りなく終わり斎場へ


点火のスイッチは私が押す
申し訳なさがさらに深まる


生前お母さんは
私が死んでも一人でお墓に入るのは寂しいから
と言っていたので
遺骨は今も自宅の仏壇にある

毎日、朝・晩お母さんに声をかけている




お母さんが亡くなって1年半以上経ったが
お母さんに対しての申し訳なさは未だある



お母さんの人生どうだったのだろう
私と結婚して良かったのだろうか
もし私と結婚していなかったらこんな事にはなってなかったのに…

あの時なんでもっとやさしく出来なかったのか
あの時ああしておけば…


申し訳ないのと後悔ばかりです


私は現在49歳ですが
人によっては再婚などと言う人もいる

再婚は全くする気無しです


私の奥さんはお母さんだけでよい

それに多分、私は女性を幸せに出来ない人間なのではないかと思います




お母さん、本当にごめんな


今度生まれ変わるなら
もっと健康でもっと裕福なところへ生まれておいでよ


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ごめんな、お母さん


もう意識は戻らないと伝えられ

それでもこのまま治療を続けるか
人工呼吸器を外すか

2つの選択をせまられた


身内達は私の考えに従うと言ってくれた



悩んだ


決められん・・・



そして15時が過ぎた頃、先生から話が

非常に危険な状態です
あと数時間しか持たないかも知れない
ICUを開放するからしっかり会ってあげてください・・・と



もうこれまでなのか・・・

身内達に伝える

義理の姉が
私に酷な選択をさせないようにしてくれたんじゃな
と、泣きながら言ってくれた


眠っているお母さんに会いに行く


これからなのに・・・
お金にもちょっと余裕がでてきて
これから色々と楽しいことが待ってるのに

眼を覚まさんかな・・・


お母さんは静かに眠っている





時間だけが過ぎてゆく

もう23時をまわった



お母さんのお友達も来てくれた
みんなお母さんの周りにいるよ



深夜0時をまわった


後数時間と言われていたが1日乗り越えたな


しかし心拍は弱くなっている
どんどん数値が小さくなる



お母さんの手をにぎる
とても冷たい

私は両手でお母さんの手を暖めた




ついに心拍が 0 になった


お母さん!頑張れ!
手を強くにぎる


すると再び数値を刻み始めた


良かった~



しかし、しばらくするとまた0に


お母さん!


みんなも一斉に声をかける

するとまた心拍が上がりだす



それを何度も何度も繰り返した





そして深夜1時が過ぎた頃
ついに心拍が0のままになってしまった


お母さん!


もう数値を刻むことは無かった







2015年7月21日 1時7分  永眠

お母さんの実母が亡くなった日と同じ7月21日だった






お母さんの最後に、みんな泣き崩れている

私ももちろん泣いていた





よう頑張ったな!お母さん!
ごめんな


なぜだか
お母さんに申し訳なくて申し訳なくて仕方ない自分が居た


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術後 最後の呼び出し



お母さんの身体が悲鳴をあげている

目に見えないような小さなモノによって臓器がむしばまれている

そんなモノに負けたらおえん!




この頃は面会に行ってもお母さんはいつも眠っている
眠らされていると言ったほうがいいか?

人工呼吸器も再び付けられてとても会話などできる状態ではない

それでも毎日会いに行って声をかけた
頑張ろうな
退院したらどこかゆっくり旅行に行こうな とか

聞こえていたら良いのだけどな





7月20日早朝
息子から電話


お母さんの身体が非常に弱っていて血液を自力で循環させることが出来なくなった
目にライトを当てても瞳孔の反応がない
もう意識が戻らないかもしれない
ここ1・2日が山場、会わせておきたい方々がいれば呼んだほうがよい


こう先生に伝えられたようだ


息子も最初は淡々と話していたが
”もう意識が戻らないかも知れない” と言うときは言葉を詰まらせて泣いていた


そうか… わかった、すぐ行く


私はそれだけ言って電話を切った



すぐ会社に連絡して休みをとり
身内とお母さんの友達等に連絡して病院へ向かう



もうだめなのか?

いや、少しでも可能性があるならそれを信じる!
諦めたくなかった



病院へ到着し担当の先生から改めて説明を聞く

少しでも可能性があるならと思っていた私の想いは崩れ去った

多臓器不全に陥っていて
心拍もかなり低下している

人工呼吸器と人工透析で生命を維持しているのが現状で
仮にそれが改善されたとしても意識は戻らないという

はっきりとは言わなかったが
いわゆる植物状態である

先生は、もちろんあらゆる処置を施すとおっしゃってくれたが

今のままの状態で処置を続けていくのも有りだし
人工呼吸器・人工透析を停止するという選択肢もあるという




今後どちらの方向にするか選択をせまられた



身内が到着して先生からの話を説明する

このまま延命治療を続けるか、人工呼吸器停止させるか




そんなのすぐには決められないよ…




回復のめどがないのに植物状態のままずっと寝かせておくのも痛々しくて可哀想だし
かと言って人工呼吸器を停止させるのも諦めてしまうようでいやだった






お母さん・・・
本当にもうだめなのか・・・


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生体肝移植術後 容態急変


真夜中に携帯が鳴る。

大学病院から!

電話にでると担当の先生。
お母さんの容態が急変したとの事!

移植手術が終わってからICUで毎日色々なデータをとり続けていて、
これまですべて安定していたのだが、急変したのだ。

急いで病院へ向かう。

真夜中の道を思いっきりとばす。

日中は4・50分かかる道のりを30分弱で到着。

ICUに入ると担当の先生が色々と処置をしていてくれて、だいぶ落ち着いたようだ。

良かった!


感染症の一種だったかな?

これまで移植した肝臓も順調に機能していたのに
急に機能低下したと言うような内容だったと思う。

ひとまずは乗り越えた。
今は安定を取り戻している。

免疫抑制剤を使用している為どうしても感染症は避けて通れないらしい。

それを一つづつ乗り越えて良くなっていかんとな!
頑張ろうな!お母さん!

身体に負担がかかるため今は眠らせているとの事。

先生にしっかりとお礼をする。

本当に良い先生で、絶大な信頼を寄せている。
多分先生はあまり寝てないだろうし、自宅にも帰ってないと思う。

またよろしくお願いしますと伝えて病院を出る。

翌日夕方、面会へ行ったが、この時も眠らせていた。
眠らせていると言っても、声は聞こえているかも知れないらしいので、
しっかりと元気づけて帰る。



それから3日後ぐらいだったか、再び夜中に病院から電話!
今度は前回より深刻な状態だという。

大急ぎで病院へ行く。

お母さん!頑張れ!お母さん!頑張れ!

病院へ向かう車の中で何度も繰り返す。

ポリに捕まろうがそんなこと知ったことじゃない!

猛スピードで病院へ向かった。



ICUへ入ると息子もいた。

その時にはちょっと落ち着いていて山は越えたらしい。

先生が、お母さんの心拍が低下し心臓が止まりそうになったので
急いで息子を病室まで呼びに行き、私に電話くれたという。

非常に危険な状態だった。

色々処置してくれて、今は落ち着いているが
重度の感染症のよう。
油断はならない。

息子がお母さんに話しかけているが、聞こえているかな?

息子は術後、自分も腹を切っていて動けないのでお母さんに会えていない。
話も出来ていない。

お母さんは眠っている。

頑張ろうで!お母さん!

まだ安心はできないが、とりあえず今度も乗り越えた。

ICUを出て息子と話す。

息子もだいぶ動けるようになっているので、
お母さんの様子をしっかり見に行くように頼んで帰宅。

もちろん私も毎日夕方には病院へ面会に行った。




それから数日後、息子から、”先生から話がある”と連絡が入る。

会社を早退して病院へ。

先生の話では、やはり感染症がひどくて
病院内にあるすべての抗生剤が効かない菌に感染していると言われる。
もちろん最大限の処置は行うと言って下さったが。


菌なんかに負けたらおえん!
頑張ろうで!お母さん!

まだまだこれからなんじゃから!

絶対今回も乗り越える!
絶対よくなる!





そう信じていた。


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生体肝移植手術 術後

お母さんの生体部分肝移植は成功しました。

14時間近くの大手術でした。

成功して良かった!

その夜私は病院に泊まったが、翌朝お母さんには会わなかった。

やはり大きく胸を開く手術であるため、しばらくは麻酔の効いた状態であることと、
拒絶反応を防ぐため免疫抑制剤を使用しているので感染症の心配がある。

外部から菌を持ち込まないため、しばらくは面会は自粛しようと考えたためです。


息子は術後一晩ICUに入り、翌朝一般病室へ移りました。


息子に会いに行く。

息子も大きく胸を開いているのでまだまだ動ける状態ではない。
意識は普通にあるけど、色々管をつけられて痛々しい。

あまりふれてなかったが、息子の肝臓を半分お母さんに提供してもらった。

肝臓の大きさ・血管の通り道等によって、切除できる位置・量がかわるのだが、
息子の肝臓は大きさ・血管の通り道も非常に良く、
約半分も提供することができた。

ありがたかった。

息子にも家庭がある。
しばらくは仕事もできないので、収入もなくなる。
そこらへんのフォローは任せろ。

ちょうどボーナス時期で、もらえたボーナスには手をつけていないし、
お母さんの障害年金にもまったく手をつけていないので、
息子の家庭に回す予定だ。

少し息子と話して帰宅。

私は翌日から仕事に行ったが、お母さんが心配で仕事があまり手につかなかった。

6月30日の夜に手術が終わって
7月1・2・3日は面会自粛。

4日に面会に行った。

菌を持ち込まないようにしっかり消毒してICUへ。

お母さんの意識はもどっていた。

まだまだ口にも鼻にも管が入っている。

「よう頑張ったな!」と、声をかける。

「苦しい」と、お母さんは言った。

そりゃ苦しいだろう。
大きく腹切ってるし、全身管だらけだし…。

痛み止めのスイッチを持っていたので、
「苦しいなぁ、これが痛み止めのスイッチじゃから、えらかったらこれを押してみ?バシバシ押せばええから」

と、伝える。

背中に鎮痛剤の管が付けられていて、
スイッチを押すと注入されるようになっている。

何度押しても必要な分だけしか注入されないので心配ない。

「息子も良く頑張ってくれた、まだ動けんけど元気そうじゃから、
息子の肝臓、半分もお母さんに付いとるんよ」

と、伝えると、

「ほんまぁ~」

と答えた。

しんどそうであるが、嬉しそうだ。

「もうちょっとの辛抱じゃから頑張ろうな!」

ICUにはあまり長く居られないのでそろそろ帰る。
帰り際、お母さんはバイバイとゆっくり手を振ってくれた。

もっともっと元気付けてあげたいけど仕方ない。
後ろ髪引かれる思いというのはこんな事か。



それからは毎日、仕事が終わると面会に行った。

息子も順調に回復していった。


お母さんもたいぶ痛みは薄れてきたようだが、まだまだしんどいようだ。
それは仕方ない事だと思う。

しかし、気になることが一つ。
手術前、肝性脳症の症状で意味不明なことを言うことがあったが、
まだ、うっすらと症状があるような…。


話しかけても、そっぽを向かれたこともあった。

ICUシンドロームというのだが、
環境の変化により不安精神症状を起こすことがある
と、なにかの書類に書いてあったのでその一種だろうか。
一般病棟にもどると自然回復するらしいのだが。




そして1週間が過ぎた頃だろうか、



夜眠っていると、突然電話が鳴る。大学病院からだ!



つづく


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プロフィール ▼

今日も てくてく

HN:
ヒロ
性別:
男性
職業:
派遣社員
趣味:
映画鑑賞、スロット
自己紹介:
はじめまして、ヒロと申します。
15年ほど普通の会社勤めをした後、パチスロで4年ほど生活する。
限界を感じ就職。
2015年7月
奥さんが肝臓移植手術を行うが酷い感染症のすえ亡くなる。
これをきっかけに退職を決意。
翌年1月末で退職することにしたその時、
大腸ガン発覚→手術
現在無職です。




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